やっと

マクルーハン「グーテンベルクの銀河系」が終わりました。離人症の時期に「メディア論」を読んで、自分の専門分野に直接的な関わりはないはずだから、リハビリには良いだろうと思って読んだのだけど、この冬はマクルーハンで終わってしまったわけです。幾ら分厚くてもこんなに長くかかった本も久しぶりで、いちおー「メディア論」の基本文献の一つだけど、「メディア」論というよりは、集合名詞としての「メディア論」にまつわる様々な基礎知識をまとめている存在だったみたいで、こういうエクリチュールだとは知りませんでした。みんな参考文献にあげるけど、みんなちゃんと引用したりしない理由が分かりました。たんに出来ないんだと思います。マクルーハンは、集合名詞としての「メディア論」の思考方法を方向付けているらしく、だから、メディア論を志したら、言語哲学もカントも通過しなくてもマクルーハンだけで何となくやれてしまうのかもなあ、と思いました。面白いのだけど、使いにくい本だと思います。まだこれから、これを、僕が使える形でメモをとらないといけないのだけど、どーやって取ったらいいのかまだ分かりません。これ、どうしよう?
「モザイク式の記述」ってのは、たいていは、体系的で統一的な命題(の存在)を否定したい著者(アドルノとか)が体系的な記述を避けるために採用するのだけど、それが読者に理解し易いかどうかは別問題で、まだ、現段階ではそうではないみたいです。解釈の許容度は格段に拡大されるけど、少なくとも僕には読みにくい本でした。こういうのがさらに進むと、ニーチェベンヤミン(?)みたいにアフォリズムになっていくんだと思います。
 こういうのは、実際の記述プロセスに似ているはずで、記述プロセスの初期段階では、こういう複数の記述を著者がまとめていくはずなのだけど、そういう作業を読者に任せてしまうのが「モザイク式記述」なのかもしれません。なので、必然的に読者は、活動的な作業を要求されることになるし、その解釈の幅は広いものにはなるけど、段落毎に命題や主張がまとめられているわけではないので、読みにくいです。「読書」行為ってのは、通常は、段落毎やチャプター毎にその主張や命題を要約してその他の部分を省略していく作業だから。なので、通常の読書(行為)では、こういうモザイク式記述は、「エッセイの集積」にしか見えないと思います。
 でも、色々、面白いことは面白いです。印刷技術が文字と数字の切り離しを加速化した、とかいう話は面白いです。民族語としての(現代)英語は、印刷技術によって確立され、ナショナリズムの確立に貢献すると同時に、ラテン語純化させ(印刷されたラテン語だけ残したので)、消滅させた、とか。「印刷技術の抽象性」の諸特徴を記述・研究するというスタンスだけど、そういう諸特徴を「印刷技術の抽象性」と「名付けたこと」こそがマクルーハンの功績だと思います。そうして初めて、印刷技術以前(写本文化)と以後(電子メディアの時代)という時代区分を意識することが可能になるのだから。「研究」としては、そういう「印刷技術の抽象性」の詳細を色々記述しているから役立つと思うけど、門外漢なのでそう感じます。マクルーハンは英文学好きの博識な人なので、この本にも引用がたくさんあって(三分の一以上は引用だと思う。)、なので、そういう引用をするために、時代的にも自筆で、研究段階でたっくさんの研究メモをとっていたはずで、なので、マクルーハンの写本文化に関する理解には、自分が研究メモを書いた経験が色濃く反映されているはずです。なので、僕も全てのテクストをパソコンに入れてしまう人なので、もう、そういう写本文化の理解が可能な人はあまりいないだろうなあ、と思います。
 でも、こういうモザイク式記述も、段落単位では「物語的な記述」にならざるをえないから、ニーチェアドルノ(?)は、晩年は「アフォリズム」を試みるまでになります。「美学」は「芸術学」として通用してきたけど「美しいもの=感性的なもの」について研究する学問で、カント以降、対象(=感性的なもの)について語ることは出来ない、ということが前提になるので、「対象について語る諸言説の構造」について語ることが「美学の学問」のあり方の一つになるのだけど(これが構造主義的思考を経た美学観かどうかは知りません。)、だから、こういうモザイク式記述やアフォリズムには親和性が強いはずだけど、とりあえず、びっくりしました。久しぶりに「参考書」が欲しくなりました。一言で言うと、面白いのだけど、ひでえ本だなあ、と思いました。でも、デビッド・リンチは思い出しませんでした。
 マクルーハンはたぶんアウト・オブ・スタンダードなものの見方をする人のはずなので、このたくさんの引用も、なぜこの引用からそんなことを考えるのかさっぱり分からないものが多いのだけど、そういう飛躍した思考を分かりやすくしたかったからだと思うけど、あまりにもキャッチーな言葉(「地球村」とか「メディアはメッセージ」とか)を作りすぎたので、そういう言葉だけが独り歩きしてしまったような気はします。一人歩きできただけでも良い話だとは思うけど。あんまりアウト・オブ・スタンダードになるのも大変だ、と思いました。こういうモザイク式の記述の後は、たいていの文章が易しく見えるので、それは良いなあ、と思いました。まだしばらくこの本のメモを取ってます。

グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成

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メディア論―人間の拡張の諸相

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